目次
仕事のできる男性にとって、察して!構って!な女性はどう映るの?
先日とある男性の方から相談がありました。
仕事熱心で、デキる男性です。
仕事をバリバリされる男性の方からすると、女性の
「構って!」
「私を一番優先して!」
「察して!」は、心底困ってしまうのです。
狩猟時代、男性は家で待つ女性や子供のために、マンモスを狩って来るわけです。それが最大の仕事。
なのに「構って!」「察して!」などと言われると、マンモスに集中できず、狩りが出来なくなるんですよ。小さいマンモスだと怒るしね。
おまけに突然キレられて、暴言を吐かれてしまうようなことがあると、男性としても
「マンモスは要らないのか?じゃあ俺は一体どうすればいいのか?」と悩むわけですね。
特に私のところに来られる方は、女性も男性もメルマガやブログを、しっかり読み込んでくださっているので
「相手が一方的に悪いわけじゃない」
「鏡の法則だ」
ということは、理解されています。
でも、どんなところが自分と鏡だと言うのか?
自分は仕事をバリバリやっているから、こんな依存度の高い彼女とは鏡だと思えない!
100歩譲って鏡だとして、何をどうすればいいのか分からない!
これが、ホントのところだと思います。
構ってちゃんは、あなたの代わりに叫んでいるかもしれない
ポイントは子供の頃の自分を振り返ることです。
仕事がデキルということは、自立心やコツコツ積み重ねていくという、
大人の思考がしっかり育っているからこそ。
でも相手女性が「構ってちゃん」になってしまうのは、一体なぜか?
それは、自分自身の中に「構ってちゃん」要素があるのだ、ということなのです。全部が全部じゃないですよ、一部、かもしれませんが「ある」ということなのです。
男性:Hさんの例
先日30分の無料相談をさせていただいた、男性Hさんも全く同じでした。
仕事が忙しくなると、これまで付き合ってきた女性から
「寂しい!」
「もっと私を優先して!」
「そばにいて!」と言われ、仕事とプライベートの両立が難しいと感じておられたんですね。
Hさんのお話をいろいろ伺い、湯川がお伝えたことは以下の3つ。
1:親に何を期待したのか!?
幼い頃に親に対してHさん自身が
「もっと僕のそばにいてよ!」
「もっと僕を優先してよ!」という思いが残ったままになっていないか?それを考えてもらうということ。
つまり
「親なら僕のそばにいるのがアタリマエ」
「親なら僕を優先するのが当然」
そんなふうに思っていなかったか?
その親に持った期待や要求こそがHさんの「愛の基準」になっているということ。
2:愛の再定義
自分が作った愛の基準
「愛しているなら寂しくさせず傍にいること」
「誰よりも何よりも相手を優先することが愛だ」
これが意識するしないに関わらず、自分の中にあるからこそ、
目の前の彼女から同じことを言われて困っているのだ、ということ。
困った彼女がいるのではなく、困った幼い自分がいる。
これが原因なのです。
小さい頃に自分が作ったマイルールを彼女に投影しているわけですね。
なのでこれを修正しない限り、大人のHさんがいくら理解していても
チャイルドがそのルールを振りかざしているうちは、何も問題は変わらない、ということになるのです。
Hさんだけではありません。
「鏡の法則」だとわかっていても、相手のわがままぶりと今の自分とを比べると「どこが鏡なのかさっぱり分からない」となりますよね。
でも幼い自分の姿と比べたとき、それはまさに自分の姿だと認めざるを得ないことって無いですか?
だからこそ「相手に言いたいことは自分に言う」なのですよ。
3:親との関係性を振り返る
さらにHさんの場合、自分と父親が対等だと思ったことと、母親は子供である自分の世話をするのが当然だと思ったこと。
それらを修正していくこと。
やはり親に持った思いが、パートナーシップであろうが上司部下であろうが、全部に出てくるわけです。
これまで男性のクライアントさんで多かったのは、父親への嫉妬心のような複雑な思いを抱えておられた方。
また母親に対して
「自分の世話をしてくれるのがアタリマエ」になると、彼女からも部下からも、同じように思われてしまうのは当然のことなのです。
自立しない部下や彼女を責めていても仕方ないんですよね。
「親との関係性を見る」
そこをすっ飛ばして、テクニックや根性論だけで何とかしようとしても難しいのです。
ちなみに父親との関係性を修正できるようになると、めっちゃ稼げます!(笑)男性は特に、です。
なぜ、自分のことになるとわからないのか?
このブログでも、できるだけわかりやすくお伝えしているつもりですが、
いざ自分のことになると、全く分からなくなるのは当然です。
その理由は感情が邪魔してしまうから。すると冷静に見れないわけですね。
さらに「自分は正しい」と思っていれば、なおさらのことです。
そして多くは
「言われて嫌なこと」
「受け入れがたいと思っていること」の中に、
自分の成長のポイントが隠れているんですよ!
湯川はセミナーでもセッションでも、クライアントさんに必要だと思ったことは、正直にお伝えしています。
たとえ、耳に痛い言葉であっても、今すぐに理解してもらえなくても、伝えます。
だからクライアントさんによっては、すぐに受け入れられないことや
分からないということもあるでしょう。
その時に頭から「無理!」「分からない!」と決めつけると、そこからの発展性はありません。
だから
「分かるとしたらなんだろう」
「言われた事がその通りだとしたら、どうなんだろう」と一旦、自分の中に取り込んで考えてみることなのです。
時間がかかっても
「そういうことか!」「なるほど!」と腑に落ちたものが、自分の宝になるんですね。
成長とは視点の量と広さが拡大すること
時間が経って
「なるほど!わかった!そういうことか!」と気づいたとき、以前の自分と何が違うのでしょうか?
湯川の場合
これは湯川が実感したこと。
これまでの自分の「視点」が変わった時、はじめて
「夫が言ってたことは、こういう事だったのか!」
「親の事をうるさいと思っていたけど、ホントはこういう意味を言ってたんだ!」と分かった瞬間がありました。
これまで何を聞いていたのか!?
何を見ていたのか!?
どれほど自分に都合のいいことしか見聞きしていなかったのか!?と愕然としました。
やっと「目が開いて、耳が聞こえるようになった!」と思ったくらいだったんですよ!!!
時間的に「長く」空間的に「広く」見れるのが成長
そうなれたのは、被害者意識から脱出していった事が大きかった。
今まで周りにこそ問題がある、と思い込んでいたので、他の人の大事な意見をはねつけていましたねえ〜(苦笑)
被害者意識をドンドン取っていく事で、他人からの意見をやっと素直に聞けるようになったってわけ。そのことで明らかに「視点」が変わりました。
成長とはこれまで見ていた視点の量が増え、より広範囲で見えるようになること。
つまり時間的に「長く」、空間的に「広く」見れるようになるのが成長なのです。
子供はお腹が空いたら、今すぐお菓子が食べたいとダダをこねます。
あと少しでお夕飯だと言っても「今すぐ」「目の前のお菓子」が欲しいわけですね。
食べるとお夕飯が食べられなくなる、という時間的な原因と結果が見えていない。
またダダをこねている時、家族がしんどくて隣で寝込んでいても、子供は目の前のことしか見えていません。
お母さんが子供の栄養にために、あれこれ工夫して食事を作っていることも、子供には分かりません。
これが空間的な原因と結果が見えていないってこと。
なので、視点が広く長くに変わる事で、今まで見えていなかったことが、見えるようになってくる。
自分が母親になった時、初めて母の気持ちがわかる。
上司になった時、初めて上司の気持ちがわかる。
それは視点が変わったから。それが成長なんです。
視点がこのように変化すると、必然的に問題も解決できるんですね。
過去の自分を超えていく
反対に、問題が起きたときと自分のレベルが同じであれば、見ている視点も同じだから、繰り返し似た問題が起こってしまうことになる。
だから視点をそのように変えない限り、解決出来ないってことね。
つまり自分のレベルを、上げないといけないのです。
過去の自分を超えていかないと、いけないのです。
それが他人からの意見を取り入れ新たな「視点」を身につけていく、ということ。
それには人からの意見を「素直に聞く耳を持つ」ということ。折角の意見を「否定された」ということになってしまうと、視点を身につける機会を逸してしまうんですよねー。成長を自ら辞退しているってことですから。
特に「愛」については感情が絡んできますので、一層見えづらい。
だからこそ客観的な視点は大事なのです。
男性性と女性性をバランス良く自分の中で育てていく
30分の無料相談を終えたHさんから、こんな感想が来ました。
湯川先生、本日は電話相談ありがとうございました!
僕の幼い心が、元嫁や元カノを通じて叫ばせていたとは思ってもいませんでした。
やはりプロに相談しないと解決もできないわけで、
私の方こそ、先生にお会いできます事、心より楽しみにしております。
ということでHさん、湯川の個別プログラムをお申込されました。5人目の男性受講生です。
Hさんの今後が楽しみですね!
私としては、男性も女性も関係なく
気づいた方から自分を修正していく。
被害者で居続けることもなく、相手が悪くて自分が正しいと証明する必要もない。
行動する、決断する、責任を負うという男性性と
しなやかに受け入れる、育むという女性性を
男女ともにバランスよく、自分の中で育てていくこと。
そんな人がどんどん増えていくと、世の中が本当に変わってくると思うのです。
「かつて自分も苦しんだ」
それが今苦しんでいるかたの、どれほどの希望と光になるか!
それを私は日々実感しているんですね。
湯川 央恵