ダルビッシュのニュースから
先日ニュースを見ていると、こんな記事が目にとまりました。
「元DeNAグリエルがダルビッシュに人種差別行為?波紋広がる」
既にご存知の方も多いと思います。
かいつまむと、グリエル選手がダルビッシュから本塁打を放った後、アジア人をバカにするようなジェスチャーをしたということなんですね。
したのか、してないのか?それは私自身どっちでも良くて、そこに興味はないのですが、ダルビッシュがTwitterでコメントしていた言葉に強く惹かれました。
その言葉はコレ
「完璧な人間は誰もいない。皆さんと自分もそう。」
「彼を批判するよりも我々は(人種差別に対する)教育に注力すべきだと信じている」
「これから何か学ぶことが出来れば、人間にとって大きな一歩」
出来事に対して、どう反応するのかを決めるのは、まさに自分自身。
この時にグリエル選手を非難することも出来たし、どう反応しても良かった。
でもダルビッシュは上記のような反応をしたということ。
選択肢が無いと感じるのは「何も考えてない」から
前回のメルマガでもお伝えしました。
これまで自分たちは出来事に対してどう振る舞うか、どう反応するか「決めて」きたわけです。
意識的であろうが無かろうが「自分で」決めてきたんだ、ということに気づいていただけたと思います。
そして自分の取れる選択肢は、いくつもあるってこと。
「これしか選べなかった」とか「二者択一しかなかった」というのは、ほぼほぼ無いと思うんですよね。
でもそう思うときは、他にどんな選択肢があるのかを自分が考えようとして来なかったということ。
もっと言えば、考えるよりも、自分の身の上を相手や周りのせいにするほうが、はるかにラクだった。
だからラクな方を「自分の意思で選択した」ということなんですよね。
何かを選択した時、同時に結果も選択している
私自身、かつて夫との関係に問題を抱えていた頃、夫がいかに理不尽でヒドい人なのかを散々周りに言っておりました(苦笑)
結局この時の私は、この問題を解決するためには「夫が変わるべきだ」と信じて疑っていなかったのです。
選択肢は二択どころか、一択ですよ!まさに考えることを放棄している状態です(苦笑)
このときの私は夫のせいにする、という選択肢を取っていたのですが、
同時に自分に向き合わないことで問題を長期化させるという「結果」も選択した、ってことなのです。
私達は何を選んでもいい。
その自由があります。
でも何かを選択した時、その結果も私達は同時に選択しているってことを、忘れてはイケません。
もしダルビッシュが、相手を攻撃したり責めるようなコメントを出す選択をしていたら、
相手を悪いと言えば言う程、自分以外の存在に自分が支配されることを許している、ということになる。
ってことは同時に、自分を一層無力な存在にする結果を選択した、ってことになっていたわけです。
自分の人生を生きるには?
昨日も言いましたが、今の自分は過去の選択の結果。
その選択は周りがどうであろうが、自分の意思で「決めたのだ」ということを自覚すること。
それが自立していく上での最初のスタートです。
そのためには「どんな人生にしていきたいのか」自分のゴールを決めることなのです。
ゴールを決めること無くして、日々の選択を意味のあるものにするのは難しい。
ゴールが不明確だと、日々の決断が「その場しのぎ」になってしまうから。
ダルビッシュも恐らくは「適当に野球出来たらいいや」とは思っていないはず。
最高のパフォーマンスを発揮して、自分の限界にチャレンジしてチームに貢献したいと思っていると思うんですよね。
だからこそ、今回のことでも、ブレない選択をしているわけです。
それは自分の目指すゴールが明確だからこそ、なんですよ!!
★今日の湯川の言葉
あなたのゴールは何ですか?