湯川の執着
先日「湯川の「断乳」のトラウマ?」という内容でお送りしました記事はご覧頂きましたでしょうか?
実は私、カミングアウトいたしますと、おっぱい以外に、食べ物に関することで随分長く、母に恨みがましい思いを持っていました(汗)
それは、プリン事件です(笑)
小学2、3年生の頃でしょうか。
プリンを食べたいと母に言ったところ「作ってあげる」と言われたんですね。
楽しみに待っていると、出て来たものが、、、、、プリン味の卵焼きでした(笑)
1つずつカップに入った、ふるふるの冷たいプリンを期待していたのが、フライパンで焼いた熱々の卵焼き。味は確かにプリン!!!
出された時に「これじゃない〜」と泣いて怒っていた記憶があります(苦笑)
執着するものは満たされていたもの!?
食べ物に執着する、ということは、どういうことか?
そう!
これまで美味しいものを散々食べさせてもらっていた、ということなのです。
食べさせてもらっていない人は、知らないが故に、そこに執着がないのです。
執着があるってことは、その執着しているものが散々満たされていたから、執着しているんですね。
同じように
「何でもしてもらえること」に執着がある人は、
散々やってもらっていたからこそ、そこに執着しているということ。
「自分の為にお金を使ってもらうこと」に執着がある人は、
散々自分のためにお金を使ってもらっていたからこそ、そこに執着しているってこと。
「自分の話をちゃんと聞いてもらいたい」に執着がある人は、
散々自分の話を聞いてもらっていたからこそ、そこに執着しているってこと。
「自分を丸ごと受け止めてもらうこと」に執着がある人は、
散々自分を丸ごと受け止めてもらっていたからこそ、そこに執着しているってこと。
不足の記憶からスタートしている
ってことはどういうことか?
してもらっているときは、それが当たり前なので完全にスルーしているってことなの!
つまり、記憶にさえ残らない(笑)
いつもしてもらえて当然と思っていたものが、
少なかったり、自分の期待した程ではなかったら、その「不足の記憶」からスタートします。
「私はずっとしてもらえてなかった」と。
いやあー、どの口が言うてんねん!って感じでしょ笑
そして親を悪者にしてしまっているんですよね。
傷つけられても子どもの世話をする親
こうして子どもって親を平気で傷つけます。
自分の振る舞いが親を傷つけていることなのだと、子ども時代は全く気づかない。
今お子さんを育てている方や、部下を持っている方なら、そのことがよく分かると思います。
時間を作って子どもや部下のためにと思ってやっても、相手は平気で
不満そうな顔をしたり「要らない」とか「イヤ」とか言いますね(苦笑)
そうやって平気で親や上司であるあなたを傷つけます。
子ども(部下)のために一生懸命やっているからこそ、そんな子ども(部下)の態度に怒るんです。
腹も立つんです。
でも、どれほど子どもがそうやって親を傷つけたとしても、やっぱり親は何だかんだと言いながら、
子どもの世話を焼いてくれたんですよね。
本当にすごいすごい、愛の深さなのです。
親の愛に気づけると、本当に人生がガラリと変わっていきます。
変わらないって方は、まだ心の奥で親に
「もっとこうして欲しかった!」という恨みがましい思いが残されているのだと思いますよ!
湯川 央恵