今日は「親は反面教師」と言いたい方の親への記憶が、如何に自分に都合の良いものになっているか?についてお伝えします。
自分で自分を幸せにし、お互いを高め合える夫婦・恋人関係を築く!!
パートナーシップ心理学アカデミー主宰 湯川央恵です。
暴れる子供に振り回されている親
先日、南紀白浜空港から羽田まで飛行機に乗りました。その機内でのことを、今日はお話しさせてください。
1、2歳くらいの子供連れ夫婦が、私の斜め後ろに座っていました。間も無く離陸という時、抱っこされていた子供がぐずりだしたんですね。
「これは来るかも」と思った時、離陸とともに案の定、ギャン泣きが始まりました。
お父さんもお母さんも大慌てであやすのですが、全然ダメ。CAさんが来てもダメ。泣いて暴れて飛行機の通路を背中でズリハイ?して怒りをアピール。
自分に都合よく記憶される
大人たちが総出で、泣き叫ぶ子供をなだめている姿を見た時、やっぱり思います。
子供が忘れていようが、なんと言おうが
こうやって親や周りの大人に、散々手をかけてもらって大きくなっている、ということを。
「でも私は親に構ってもらえませんでした」
「大切に扱われた記憶がありません」
なんて声を聞きますが、それはもう自分の勝手な記憶の中だけのこと。
一人の人間を、こうやって赤ちゃんから大人に育て上げるまで、一体どれほどの「エネルギー」と「時間」と「お金」と「関心」を寄せてもらっているか。
それは決して当たり前のことではないのです。
それを聞いて
「でもね、」と言いたい方は
自分の記憶の中では、思うように、思うタイミングで、自分が期待していることを親はしてくれなかったと言いたいのです。
それって冷静に考えて欲しいのです。相当高い期待と要望だと思いませんか?
つまり
「育てる以上のことをせよ!」
「アタシに細心の注意を払い、アタシの望むことをせよ!」と思っているってことと同じですからねえ。
自覚のなさが一層問題を複雑にする
「親は反面教師です」
そうおっしゃる方は「私は親のようにあんな愚かなことはしません、私は親とは違う」そう言いたいわけです。
でもね本当の反面教師って、そういう意味じゃないんですよ。
雑誌「致知」3月号に「反面教師の本当の意味」がこんな風に書かれていました。若干要約してお伝えします。
あの人物の姿を、反面教師として学ぼう。
「あの姿は自分の中にもある。そのことをあの人は、教えてくれたのだ」という姿勢こそが「反面教師」という言葉の本当の意味なのです。
人に向けた批判的な矢印は、すべて自分にも向いていると自覚することで、生き方は随分変わってきます。
親を批判したい時は、親の一部しか見えていないし、批判している部分は、自分にも”ある”ということ。
つまり自分の「写し鏡」だということなのです。
親もまた一人の人間
親だって人間です。間違いもするし感情的に怒ることだってあるでしょう。失敗だってします。
でも自分を棚にあげて、親を批判しているときは、自分も同じことをやっているとは全く「自覚していない」ということなのです。
自分はできているつもりだし、分かっているつもりだし、聞いているつもり。
でもそれで、あなたの現実が何も変わっていないのであれば、それは「つもり」なだけってこと。
つまり「自覚がない」ということなんですよ。
何も道徳的に「親に感謝しましょう」とか言ってるのではないのです。
ここがわからないと、パートナーシップも子供との関係も、上司部下との問題も、何も解決しないから言ってるわけです。
上司との関係性に悩んでいたYさんの事例も参考になると思います。