ありのままでいいの!?
「ありのままのあなたでいい」
「あなたは悪くない」
こういう言葉が心地よくて、
この手のことを書いた本を、昔はよく購入していました。
でもね、今思うのは「何て怠慢だったんだろう」って(笑
変わろうと思うときって、そりゃエネルギーを使います。
これまで慣れ親しんだ自分のパターンから変えていこうとするのですから、エネルギーを使うのは、当然なのです。
本当は「こうなりたい!」という自分がいるはず。
でもその自分を認めてしまうと、、、、
それに向かって努力しないといけない。
出来ない自分に対峙することにもなる。
「出来る自分」から
「出来ない自分」に見られる可能性も出てくる。
だからそんな冒険をせずに
「ありのままでいいのよ」
「あなたはあなたでいいのよ」と言いながら、本当の気持ちを誤摩化しているのです。
プライドがあるなら、そこに向かう努力とエネルギーを出して、そのプライドを守れば良い。
でもそれをしないのであれば、
ただ、体のいい言い訳をしているだけってこと!
根底にあるのは被害者意識
「あなたは悪くないのよ」と言われてホッとするのは、
悪いのは自分ではなく、他にいる。自分は変わらなくてもいい、変わるべきは他にいるんだ。ということを、自分以外の人にも認められたような気がするから。
この地点で、自分が努力することを棚に上げてるわけですね。
これらの言葉に惹かれるということは、
自分自身、かなり被害者意識が強い、ということなのです。
それをまず、分かって下さいね。
その被害者意識のいちばん深い部分を見ると、親に対して未だに恨みに思っている気持ちが残っているってこと。
「親が○○してくれなかったから、私はこうなった」
「変わるべきは親で、私は変わらなくて良い」
こうやって、未だに親を悪者にして、自分を正当化している部分が、どこかあるはずなのです。
まさにチャイルド思考満載な状態です。
子どもの視点はいつも言ってるように、近視眼的で短期的な視野でしか見ていません。
大人の視点は長期で広い視野で見ているわけです。
両親との関係性
さらにですね、、、
「親に恨みがある」と認識出来ている人の少ないこと!
自分は親に恨みなど持っていないと、美しく誤摩化している人がほとんどなんですねー。
初めてセッションした方は
「私は親に対して恨みなど全くない」です、と言いながら
「一人でいるのがとても寂しい」とかおっしゃるワケです。
それってどういう意味かわかります?
本人に自覚があるか無いかはさておき、親に対して幼い頃
「私を一人にした親は何てヒドい!」と、心の奥底で未だに恨みがましく思っているってことなんですよー。
だから一人になることが、とてつもなく寂しくて、
いつも誰かと一緒に居ないと、いたたまれなくなってしまうという状況に陥っている訳です。
夫との関係性も
彼との関係性も、
友人も、職場も、
そして子どものとの関係も、
すべて根っこは親との関係性に帰着します。
だから対処療法で、あれこれやるのではなく、
親との関係性を見ると、それに伴う様々な問題が、一網打尽に解決するってこと。
人は誰かを悪者にすることで、自分は悪くない!って思えますからね〜。
でもそうやって人生の責任から逃げるのは、もうやめましょうね。
誰かの責任にして欲しい物を誤摩化すのではなく、
自分でエネルギーを出して、欲しい物をどんどん手に入れる人生にしていきましょう。
まずは自分で自分の責任を取ること
じゃあ、人のせいにしないで、自分で責任を負っていきましょうと言われても、具体的に一体何をすればいいのでしょう?
「責任を負う」って分かったような分からんような、曖昧な言葉ですよね。
湯川が思う「責任を負う具体的な行動」とは、、、、、
まず「自分で決める」ということ。
これをやっていくことだと思うのです。
「決めることを決める」のです。
「自分が決める」ということをやって来なかった人は、自分が決めていいのか?とまず思うでしょう。
でもね、決めていいんですよ。
決めないと周りに流される人生になってしまいますし、
これからの人生も周りの人に決めてもらい、
お膳立てしてもらわないと何も出来ない、不自由な自分になってしまうわけです。
やってもらうことがアタリマエだと、どこかで思っていると
常に怒りや不満を抱える人生になります。
また通常年齢と共に
「自分で決めないといけない」状況が
増えてくるのです。
Aを選ぶのか、選ばないのかを決める。
今するのか、しないのかを決める。
一歩踏み出すのか、踏み出さないのかを決める。
この関係性を続けるのか、続けないのかを決める。
自分が「決めることを決める」と同時に、
自分が「決めないことを決める」ことも、立派に「自分で決めたこと」になります。
実は練習不足なだけ!?
ぶっちゃけ「責任が怖い!」という方は
「決める」練習を積んで来なかっただけなのです。
ですから今から些細なことから
「決める」練習をしていきましょう。
そうすることで、より大きな決断が出来るようになってくるのだと思います。
まずは日々の些細な「決める」からスタートです!
そして最終的には、自分がやったことは
どこかで責任を負わなければいけないのが、この世の仕組み。
逃げて逃げて、逃げまくって、今世自分の負うべき責任を負うことがなければ、そのツケは子供や子孫にわたってしまいます。
自分のまいたタネは、自分の代で刈り取る。それはもう、自分の代で終わらせる!次の代に継承させない!
その気概を持ってやっていきましょう。
逃げれば逃げるほど、その負うべき責任が大きくなっていきますからね。
そうなってからでは、しんどいです。
私も一緒ですよ。
共に「決める練習」からやってみましょう!
湯川 央恵