「もっと自分を大事にしていいんだよ」とか「自分を満たしてあげましょう」
これらの言葉、よく言われていますね。
こんにちは。
パートナーシップ心理学アカデミー 代表 湯川央恵です。
例えば、
彼からひどい言葉を投げつけられたり
ブラック企業と言われるところで、ボロボロになるまで働きづめだったり・・・。
そんな時、これらの言葉に救われる気持ちになります。
でもどうすることが「自分を大事にすること」や「満たすこと」になるのでしょう?
そう言う環境から抜け出すことが、自分を大事にすることなのか?満たすことなのか?
そもそも「自分を大事にする」とか「満たす」ってどういうことなのか?
分かっているようで、分かっていないことだと思うので、今日は改めてみなさんと一緒に考えていきたいと思います。
(本来は「大事にする」ことと「満たすこと」は違うのかもしれませんが、今日は同じこととして扱い、便宜上「大事にする」という言葉で集約します)
「自分を大事に」と言われるそもそもの理由
そもそも「自分を大事にしましょう」と、なぜこんなにも言われるようになったのでしょう?
これは湯川の仮説ですが、、、
「我慢が美徳」
みたいなイメージがあるからじゃないかな、と思ってます。
我慢して我慢して、散々自己犠牲のようなところまで行くから「もっと自分を大事にしましょうよ」って言われるんだと思うのです。
2種類の我慢
ただ、その我慢にもいい我慢と問題ある我慢の2種類があります。それを知らないで一概に「我慢すべきだ」とか「我慢は悪だ」というのは違うと思うんですよね。
1つ目のいい我慢
これは自分が何か成し遂げたい結果を得るために、目の前の楽しみを我慢するもの。
例えばビールを飲むことやYouTubeみることを我慢して、今やるべきことをやる、と言うもの。
それって、自分が欲しい未来があるから、どちらかと言うとそれが終わると「よーやったアタシ!偉いっ!」って褒めることのできる我慢。
そしてその我慢は、晴れ晴れしたもの。
あと、自分の成長のためには、今は面倒でも苦しくてもやったほうがいいもの。
例えば子供の頃
「勉強しなさい」
「早寝早起きしなさい」
「靴をそろえなさい」
「挨拶しなさい」
こんなこと、なんで言われるか、わからなかったですよね。
出来なくても問題ないでしょ!と思ってましたよねー。
うざいし、面倒で仕方なかったけど「我慢」してやって来ました。
おかげで大人になった今、基本的ベースができていたり、コツコツ努力することの大切さも実感出来ていると思います。
こう言う我慢は良い我慢。
問題のある我慢
一方、問題のある我慢は
本当はやりたいことがあるけど、人目を気にして我慢するとか。
怒られるのが嫌で我慢するとか、嫌われるのが嫌で我慢するとか。
他人の気持ちが気になり、自分の気持ちを押し殺してしまう状況ですね。
これをやると何が起こるか?
「アタシばっかり我慢してる!」と思って自分ばかりが損しているように感じるわけです。
いやー、これだけで、すでにストレスフルじゃないですか?
おまけに自分が我慢していることを、大っぴらにやっている人がいると、腹が立って仕方ないの。
例えば、人に甘えることを我慢して、自分で何もかも やろうとしている人に「ねえ♡これやってー、アタシできないの」なんて言うような輩がいると、目ん玉飛び出るくらい怒りが湧いてくるわけ。
もちろん、それを表現するかしないかは別ね。ただ、腹ん中は煮え繰り返っているはずです。
我慢をする人の特徴
なのでそういう我慢をしている人は、他人に もれなく我慢を押し付けます。
いい我慢は自己完結できるんだけど、問題ある我慢は人に押し付けるんですよ。それも「いかにも正当そうな理由」をこじつけて(笑)
それはもう、当然そうなるでしょう。
だっていつも我慢してるんだから、人が自由奔放にやってると、そりゃ我慢ならんのよ。
なので、自分を大事にしましょうね、と言うのは、この場合、後者に対しての言葉になります。
自己犠牲を伴う我慢をする理由
じゃあそもそも、なぜ後者の人は自己犠牲的に我慢ばかりしてしまうのか?
不思議だと思いません?
やめればいいのに、なぜそこまでやってしまうのか?
これは単純に「嫌われたくないから」と言うのがその答えとして、もっとも多いと思うのですが、湯川としてはもっと突っ込んで考えてみたい。
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