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お父さんから愛されなかった私は、他の男性から愛されるだなんて、思えない。そんなふうに仰っていたAさんという方がおられました。
小さな頃に持った父親のイメージ
小さな頃から構ってもらった記憶がない。
家に居る父の記憶は、しかめっ面をして不機嫌オーラ満開の後ろ姿。
そんな父が口を開くのは
「勉強しろ!」
「バカなテレビ番組は見るな、うちはNHKだけ!」
そんな父に対して心の中で反発はするものの、表面的には勉強のできるいい子として大人になっていったAさん。
私は父から受け入れてもらえなかった。
そんな私は、きっと誰にも愛されないんだ・・・。
そうAさんは、ずっと思っておられました。
父親に愛されなかったと思い込み、それを証明する生き方
親に対する見方は
幼い自分から見た一方的な見方
視野が狭く、一部分しか見えていないのです。
いい悪いではなく、その頃は「そのようにしか見えなかった」ということなのです。
ところが大人になっても、自分を取り巻く世界観が、その子どもの頃の「見方」のままになっていることが多い。
だからAさんは、親しくなった男性からの些細な一言で「やっぱり私を受け入れてくれないんだ」「私は愛されないんだ」と見えてしまっていたんですね。
事実は違ったとしても、Aさんにはそう思えてしまう・・・。
こうなると妄想の世界に突入です。
何を見ても、何を聞いても「愛されない証拠」として受け取ってしまう。はい、妄想劇場爆走です!!
思い込みから脱出する方法
まず最初は、親に対して自分は、どのように感じていたのか?
心の中の抑圧したものを、しっかり出していく必要があります。
それが出来てからは、次の視点が大事なのです。
「本当に愛されていなかったのか?」について客観的視点を持つ、ということ。
「これまでA子さんに対する直接の言動ではなくても、父から大事にされたという経験はないか?」ということです。
通常、これはすぐに出てきません。
そりゃそうです。
親に「愛されていない」という思い込みを持ち続ける為には、大事にされた経験は極めて小さく、もしくは「無い」ことにする必要があるわけです。
でもね、ひねり出すと出てくるのです。(笑)
あなたの「愛」の定義は何?
Aさんの場合は、学費の高い中高一貫の学校に行かせてくれた、お金については何一つ不自由なく育った、そんな経験が、ばっちりあったのです。
でも、私が欲しかったのは、そういうことじゃないの!
もっと精神的な温かさや、私自身を受け入れてくれている絶対的な安心感が欲しかったのよ!
お金に苦労して大きくなった方からすれば「立派な愛された事実」なのですが、Aさんの心の中はそうではなかった。
Aさんに何か問題がある、というよりも、私たちは満たされたことではなく、満たされていないことにフォーカスしがちなのだ、ということなのです。
ここ、超大事なことなので繰り返します。
私たちは満たされたことではなく、満たされていないことにフォーカスしがち
だから足りないこと、欠けたこと、いつもと違うことにフォーカスしてしまうのです。
なのでAさんはこう思ったんですね。
いくらお金があっても家の中は冷たく冷えきって、家族なんて言えるものじゃないかった。
そんな殺伐とした家庭の中で、Aさんは確かに寂しい思いをしていたのでしょう。
それについては確かに癒す必要があるかもしれませんが、「愛されていない!」というのはA子さんの「幼いチャイルド的な視点」だったんですね。
様々な視点から問いかけていったことで、親の深い深い愛に気づいたA子さんは号泣!
「私、今までずっと愛を受け取ろうとしてなかった。何をやってたんだろう!」
父親は確かに優しい言葉の1つも言えない人だったかもしれない。
でも仕事の愚痴も言わず、経済的な面では一切の不安を感じさせず、男親として見事にAさん達を守りきったんですね。
「愛されていない」というのは、全くの見当違いだったのです。
圧倒的な大きさの父の愛と、子どもの視点からの愛の違い
父性としての愛を受け取れなかったため、Aさんには、厳しい父性的な愛を教えてくれる人がパートナーになったということ。
一見、厳しいと思われる父親の愛の中で、幼い自分は、実は安全に過ごしてきたんですね。
A子さんはこんな風に述懐しています。
父親は確かに厳しいことばかりを私に言って来ました。
幼い私は、私のすべてを受け入れて、優しく包み込みこんで欲しいと切望していました。だからそんな風にしてもらえなかった私は、パートナーに対して父親に求めていたことを、そのまま求めてしまっていたのですね。
無条件に、問答無用で全てを受け止めてくれる人、私を一番にしてくれる人を探し求めていたのですね。
幼い私でした・・・。
いつまで親の愛を疑い続けますか?
そうなのです。
幼い自分は、ずっと父親探しをしていた、ということなのです。なんでも受け止めて、自分を一番にしてくれる、そんな親みたいな人を。
ということは自分はいつまで経っても「子ども」だ、ということです。
するとパートナーシップなど、夢のまた夢の話になります。対等な関係ではなく、いつまでも大人と子ども、管理する側される側、という関係性に自らなっていっている、ということです。
それでいいなら、今のままでもいいと思います。
でも、もうイヤなんですよね…。
だったら、もう父親の愛を疑い続け、理想の愛を与えてくれる人を探すことは終わりです。
自分が自分をしっかり癒す方法を学び、そして自立していく道を歩んでいく。
そのほうがずっと自由で身軽ですから。
自分の人生の主導権を、自分が握っていきましょう。
パートナーが、自分を幸せにしてくれるワケではないのです。
子どもや親が、自分の人生を幸せにしてくれるのでもない。
自分を幸せにできるのは、自分だけなのです。
自分が幸せになると、幸せな人が寄ってきます。
そんな幸せな者同士だからこそ、一緒にいることでさらに幸せになるのですよ。
この記事も参考になりますよ!