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なぜこんなにパートナーとギクシャクしてしまうのでしょうね?
なぜこんなにイライラしたり、不安になってしまうのでしょうね?
こんにちは、湯川央恵です。
実はパートナーとの間がしっくりこない時、確認してほしいことがあります。
それは、お互いの持つ「定義」
愛の定義ー見直しが大事!
定義にズレがあるといつまでたっても話しは噛み合いません。
例えば「浮気」
仮に彼にとっての浮気とは「セックス」すること。
彼女にとっての浮気とは「一緒にお茶を飲むだけでも浮気」となると、
この二人の話しは、どうやったって交わることはないのです。
だからこそ「定義」を明確にする必要があるんですね。
それをしないからこそ、自分が思う定義を振りかざしてしまう。
それが「あったり前やん」と信じて疑わない。
これと同じように明確にしたほうがいい定義は「愛」
これほど定義に幅が出るものは無いと思います。
「愛」にしても「浮気」にしても、お互いの定義が違っていれば、いつまで経っても噛み合わない。
さらに自分の思う定義がアタリマエになるので、どうしても相手に押し付けてしまう。
当然お互い疲弊してしまうわけです。
未熟な愛の定義のままだと
「んじゃ、定義が合う人を探せばいいんじゃね?」
とあなたは思いませんでしたか?
でもねえ〜、自分が持っている定義自体に問題があれば、
いくら探そうと思っても、厳しいかもしれません。
ということで
「恋愛・結婚が長続きしない人が知っておくべきこと」の続きは
「愛の定義を見直す」ということ。
愛の定義のルーツは親に対して望んでいたこと
「愛」の定義のルーツは全て
「あなたが親に対して望んでいたこと」になっているはずです。
例えば、あなたの親が忙しくて、いつもそばに居てくれなかった場合
「いつもそばに居ること」があなたの愛の定義になっているはず。
何を言っても否定された、と感じていたなら
「どんなことでも受け入れること」が愛の定義になっているはず。
話しかけた時ムスッとされたと感じていたなら
「いつも笑顔で話しを聞くこと」が愛の定義になっているはず。
それらを今のパートナーに思いっきり求めてないでしょうか。
するとこんなことが起こってしまうのですね。
親に求めたことをパートナーに求めてしまう
例えば、パートナーが仕事から帰ってきた時、
「ねえねえ聞いて!今日こんな大変なことがあったんだよ!」とあなたが言ったとします。
パートナーは疲れて
「ちょっと後にしてくれないか」と言いました。
すると瞬時に
「私はパートナーから愛されていない」と解釈し、
怒りや憤り、不安感などを感じるかもしれません。
でもそれは「そんな定義を持っているから」なんですよね。
そしてそのルーツは
あなたが親に対して「親ならこうすべき」というあなたの基準なのです。
それが今のあなたの愛の定義そのものになっているはずなのです。
なのでその愛の定義が、建設的なものなのか、
自分も相手も両方成長できるようなものなのかをチェックしてみる必要があります。
よくある愛の定義の検証
先ほど言った3種類の愛の定義を検証してみましょう。
「いつもそばに居ること」
これは、厳しいですね。
居たくても居れないときもあるのですから。
そばに居なくても愛していることは大いにありますね。お父さんはいつもそばにいなかったかもしれない。
でも家にいるあなたや家族のために、必死になって働いてくれていた訳です。
それって愛以外の何ものでもないですね。
誰が愛してもいない人の為に、必死になって働きますか?お金を家に入れますか?
私なら愛しても居ない人に対して、そんなこと出来ません。
「どんなことでも受け入れること」
これも愛の定義で多いパターンです。
受け入れることは確かに愛の一部分ではあるのです。
でも何でも受け入れてしまうことで、かえって相手も自分もダメにする場合がある。ダメなものはダメと、言うべきことをキチンと言うことで転落から防ぐことが出来る。
受け入れないことで相手に気づかせることもある。
なので受け入れることだけが愛では決して無いのです。
「いつも笑顔で話しを聞くこと」
自分の場合を考えて欲しい。いつもどんなときも笑顔で人の話しを聞くことが出来ますか?
それが出来ないときは愛していない、なんてことは無いわけです。
考え事をしていたり、体調が悪かったりするのは生きている上で当たり前のこと。
でもそのことでさえ、私たちは子どもの頃、親がそうなることに対して許していなかったんですね。
無自覚な親探しを自覚する
こうして自分が親に対して求めていた愛について見直してみると、
とても一方的で偏ったものだということが分かると思います。
親に求めていたものを、そのままパートナーに求めているのですから、
それはまるで「親探し」をしているようなもの。
それを満たしてくれる人をどこまでも求めることはもう辞めた方が良い。
小さな子どものようにダダをこねて「いやだー」「こっち見てー」
とこじらせていても、何の解決にもなりません。
ダダこねの原因は彼に引き受けてもらう案件ではなく、
あなた自身が自分で解決しなければいけない問題だということなのです。