パートナーシップ心理学アカデミー 代表 湯川央恵です。
今日は子供への対応について、よく質問されることについてお伝えします。
「甘えさせる」と「甘やかす」の違い_
これは、子どもの年齢によってかなり違うのですが、先に結論を言います。
【甘えさせる】
失敗や、やるべきことをやらなかったことで、もたらされる結果を、本人に引き受けさせるのが「甘えさせる」
【甘やかし】
反対に、子どもに引き受けさせないで、親が替わってその責任を負うことが「甘やかし」
以下の文を読んでください。
子どもが友達のおもちゃを壊しました。落ち込んでいる様子。
この文を「甘えさせる」と「甘やかし」にするなら、それぞれどういう文章になると思いますか?
「あー、壊しちゃったのね。〇〇くんに、一緒に謝りに行こうか」
これは「甘えさせる」
一方、
「あんたが人のおもちゃ壊すから、お母さん〇〇君の家へ謝りに行ったわ!ホンマええ加減にしてっ!」
これが「甘やかし」
この違い、わかりますでしょうか?
では以下の文章はどうでしょう?
何度言っても子どもの部屋が散らかったまま。一向に片付けようとしない。
子どもが「一緒に片づけてほしいと頼んできたので、「いいよ」と機嫌良く手伝ってあげる。これが「甘えさせる」
※この場合グチグチ文句を言わず、機嫌よく。
→子供が言ってきた、ということと、子供も一緒に片づけをしているという点でOKにしてあげる。
これが子供は手伝わないで「片づけておいて!」と言ってきたらNG!
一方、片づけを子どもに期待してもムリだからと、さっさと親が片づけてしまう。
これが「甘やかし」
いかがですか?違いが分かりましたか?
この二つは似て非なるもので、「責任の境界線」の問題なのです。
子どもが取るべき責任を、親が変わって取ってしまうことで、その問題に向き合えない。つまり、その出来事から得られる学びや気づきの機会を、子どもから奪っているんです。
これは、無意識に夫をダメンズに育成してしまうメカニズムと、全く同じですよね。
相手の取るべき責任を奪ってしまうことで、いつまでたっても、相手が問題に向き合えないのです。
依存されることに依存している。
こんな風に、境界線を意識して、相手も自分も尊重するには、被害者意識をクリアにしていることが必須です。
被疑者意識がクリアとは、自分が自分の親との関係性で持った恨みごころや、勘違い、偏った思い込みを手放せているということ。
具体的に言うと、親の躾が「正しかったのだ」と思えているかどうか。
厳しい言葉があったり、自分の願った通りにやってくれないことも沢山あったけど、それは「自分にとって必要なこと」であり、恨んでいたのは「自分にとって都合のいい親」を望んでいただけだったことに、気づけているか。
ここに気づけていないと、自分が親になった時、子供を甘やかすことしかできなくなるのです。
ビシッと言うべきことが言えずに子供の言いなりになってしまい、子供を傲慢な王様のように育ててしまうことになるのです。
こう言うと、「何が何でも子どもにさせなければ!」極端に振れる方がおられるかもしれません。
そんな杓子定規に白か黒かで決めなくてもいいですよ。
状況を見て「今日はどうしてもやらせてあげる時間がない」ということであれば、それは親がやってしまうこともアリでしょう。
その場合も、「今は時間が無いからお母さんがやっておくね。次は自分できるようにしていこうね。」という声掛けが大事かと思います。
子離れできない親
壁にぶつかってこそ、子どもは成長できるのです。私たち大人もそうですよね。
自立するというのは、自分の人生に対する責任感を子供自身が持てるようになること。
壁にぶつかりながら成長する過程こそが、大人の階段。
ところが、子どもが30才を過ぎても親がべったりくっついている家庭が多い気がします。
幼少期に、子どもの身の回りのことを母親が全部やってきたのと同じように、30歳を過ぎてもなおやっているのです。
子どもが成長するにつれ、お世話が減り、関わり方を変えていく必要がありますよね。
6歳まではたっぷり甘えさせてあげる「母子密着時期」です。
その後、思春期になって反抗するのは、大人として「自立していくための準備期間」。
「うちは反抗期が無かったから安心だわ~」なんて思っている方は、要注意です!
カラダは大人なのに、精神的には未熟で、社会的に自立できない状態になってしまう可能性があります。
日々、いろいろな方のセッションをするなかで「子離れできない親」の弊害を感じています。
暴力暴言や育児放棄放の親よりも、「過干渉」や「過保護」「構い過ぎ」で子離れできていない親の方が、たちが悪い。
前者の場合は、明らかにおかしい!理不尽!と、本人にも周囲にもわかりやすいのです。
しかし、後者の場合、親があれこれやってくれるので、子どもとしてはラクだし、おかしいと感じることがないまま大人になってしまうのです。
そうなると、いつまででも自立ができず、自分で何かを決めることもできず、人のせいにして社会に対応できなくなります。
反抗期は「自立への準備期間」です。この時期がとても大事なのです。
反抗を止めさせようとしていませんか?
反抗している子どもを見て、おろおろしていませんか?
子どもが出す無理難題の言いなりになっていませんか?
子どもの機嫌を取ろうとしていませんか?
腫れ物に触るような接し方をしていませんか?
「これ以上はダメ」「うちでは許さない」など、しっかり親として境界線を指し示すことが大切なのです。
この境界線が、ある意味で”壁”になってやるということでもあります。
まとめ
「No」を言われずに、壁もなく、子どものやること全てを受け入れるばかりだと、自立への足場を築けません。
受け入れることが”女性性”であるとするなら、壁になることや、「やっていいこと」と「やってはいけないこと」を指し示すことや「No」を言うことが”男性性”の特質かもしれません。
親とぶつかる、という体験をするには、親の方に壁になる男性性の強さが必要なのです。
それは父親にだけ必要なものではなく、母親でも同じです。
幼児期は女性性だけで、ある程度はできたのですが、人として完成していくためには、女性であってもバランスよく男性性を発揮する必要があるのです。
反抗期は子どもの自立への大事な期間であると同時に、親にとっても、人としてより完成していく経験をしているということ。
要求を聞くことや、受け入れることだけが、本当の愛情ではないのです。
子どもが社会に出た時、自立するためには、子離れすること!
そして、子どもの壁になること!
これを私自身も、自分に言い聞かせてやっています。
お互い、頑張りましょうね。
湯川央恵