危険な親子 ~ 本当にあった怖い話 ~
ある披露宴で、新郎が感謝の言葉を述べる時間がやってきました。
なんと、そこで新郎がおもらしをしてしまったのです。
ジョークでも余興でも何でもありません。おもらしです。
もしかしたら、極度に緊張していたかもしれませんし、飲めないお酒を無理して飲んでいたのかもしれません。
まあ、そういうこともある。ということにしておくとしましょうか。
会場がドン引きしたのは、おもらしのあとに新郎が放った一言を聞いた時です。
「だって、だって、ママがトイレ行きなさいって言わなかったもん!」
これから、一家の主として家庭を築こうとしている30代後半の新郎が言うセリフでしょうか。
そして、そのママはどう答えたと思いますか?
「うん、そうだよね!ママが言ってなかったのよね」 と言いながら慌てて床を拭いていました。
こんなことが現実にあるなんて、にわかに信じがたいと思いますが、本当にあった怖い話です。
その後の新婚夫婦の行方は・・・ほどなく離婚に至りました。
親の役目とは、 「親が居なくても生きていけるよう、立派に自立させること」ですよね。
皆さん、よくおわかりになっていると思います。
しかしながら、いつまでも子どもの世話をやき、子離れができない親が少なくありません。
残念なことに「それが親の愛だ!」と思い込んでいる気がします。
一方で、子供の側が、パパやママの保護者代わりになってしまうケースも多いのです。
子どもが、子どもでいられず、 早く大人になる必要に迫られる家庭環境というのは、決して健全ではありません。
子どもに依存する親たち
子どもが、いつまでも親の責任を肩代わりしていないでしょうか?
子どもが、いつまでも 親の取るべき責任を負っていると、親は自分の問題にいつまでも向き合えません。
子どもが居ないと生きていけない・・・子どもに依存してしまう親となるのです。
もちろん、介護などで 親の面倒を看ることもあるでしょう。
しかし、それまでは親も元気ですし、愚痴っぽくても体は動くわけです。
親のすべきことを、子どもが何もかも代わってあげるというのは、かえって親を無力化させてしまいます。
まさに、あの新郎の母親と同じことをやっていないでしょうか。
「可哀想な母」を見ると、何とかしてあげたい、自分しか助けられる人はいない。
そう思うのも無理はありません。
しかし、「あなたが居ないと何もできない」「お母さんがどうなってもいいのね」などと、子どもに罪悪感を植え付けるようなら、一線を引きましょう。
被害者意識の強い母親と境界線を引くというのは、親不孝な事ではありませんし、冷酷なことでもありません。
子どもが肩代わりしてしまうことこそ、親をダメにするのです。
親が取るべき責任を過剰に取ること無く、最後まで立派に自立させることも、親孝行のかたちです。
心の中に安心できるスペースを創る
『境界線をきちんと引く』ことの重要性をお伝えしてきました。
親子関係に限らず、「折角誘ってくれているのに断ったら悪いかも」「がっかりさせてしまうんじゃないか」というように、相手の感情の責任を引き受けてしまう状況を「境界線が引けていない」というのです。
不機嫌になったり、ガッカリすることは、相手の問題です。
どれほど言葉を尽くしても、思わぬ受け取り方をされて憤慨されることはあります。
だからといって、何を言ってもいいということではありません。
相手に心は尽くしますが、その結果まではコントロールできないということ。
相手の感情は、相手の自由です。
「ああ、もうあの人はしんどい!つきあいたくない」と思う時も同じ。
境界線を引かず、相手のエネルギーを受け入れすぎているからです。
「この人と居るとエネルギーを吸い取られる」というのは間違い。
正しくは、あなた本人がエネルギーを明け渡しているのです。
とりわけ、親子の関係においては、小さい頃から言われ続けていることなどがあると、あたかもそれが自分の考えとしてプログラミングされてしまうことが大いにあります。
たとえば、医者になるのよと言われて育った学生が、自分の考えなのか、親の期待なのか、もはやどちらか分からない!と混乱するケースもあります。
それは、自分の思考に親の期待をずっと住まわせていたことを意味します。
あなた自身の感情を取り戻しましょう。
イヤなことはイヤだと言ってもいいのです。
そうやって自分が受け入れられるものと、そうでないものを明確に線引きすることで、自分の心の中に安心できるスペースができるのです。