普段セッションをしていますと、本当にみなさん自分に都合よく記憶を書き換えてしまわれています。
特に子供の頃は視野が狭く、判断基準も「快か不快か」で判断し、かなり偏った見方になってしまっているのです。今日は湯川の子供時代のことをお伝えしながら、子供の偏った見方、についてお伝えしていきたいと思います。
湯川は奈良のお寺の子として生まれました。
祖父が亡くなるまでは、とても豊かで、経済的にも恵まれた子ども時代だったんですね。
ところが祖父が中学2年の頃に亡くなってからは、家庭は一気に火の車。
借金取りからの電話が怖くて、電話の線を抜いていたこともありました。
両親が働いても働いても、貧しく、お金のことで二人がよくケンカをしていた記憶があります。
「お金は怖いもの」
「お金が全てを支配する」
このような思い込みで、世の中を見ていました。
お金持ちの友人に対して嫉妬しては、自分がどうやってもそうなれないことに、怒りを感じていました。
大学の卒業旅行で友人達が、オーストラリアだ、ハワイだ、ヨーロッパだと言ってるとき、両親の大げんかを横で見ながら、悔しい思いと「うちは仕方ないんだ」と言い聞かせて、必死にアルバイトしていたことを覚えています。
振り返ると高校、大学時代は、人生で一番荒れた時期でしたね。世の中をハスに構えて見ている、そんな子どもでした。
いくら勉強したって、運動が出来たって、親の稼ぎのせいでやりたいことも出来ない。こんなに差がでることへの理不尽さを感じていたんですね。
被害者意識の塊だった
まあ、ホント今書いていても笑えますが、当時はホント被害者意識の塊でした。
親の稼ぎのせいで、やりたいことも出来なかった、などと書いておりますが、ホントのところは、大概やりたいことはできていました。
ただ「卒業旅行に海外は行けなかった」とか「欲しいものをすぐに買ってもらえなかった」ということだけで「すごい我慢させられた!」と思い込んでいたんですよね・・・。
「貧乏のせいで、やりたいことも出来なかった」などと思い込んでいたワケですから・・・。
ご飯も三食きちんと食べることができていましたし、ご飯にごま塩なんてことはありませんでした。
チャイルド思考って本当に「自分にとって都合の良いこと」だけを覚えているものですよね。
高校の時から250ccと400ccのバイクを乗り回し、ガソリン代は全部父払い。
それをどの口が「我慢ばかりしてきた」と言うのか・・・(苦笑)
バイクは自分のアルバイト代で買ったのですが、それを当時は「私って何ていい子」と思っていたんですね。
でも、自分の趣味のものを自分が働いて買うことは、至極アタリマエのこと!
それを「アタシってホント健気でしょ」って・・・。
どれだけ親を見下し、自分のやっていることを美談にしていたのでしょう(恥)
そして大概、自分のやりたいことをやって来てたのに、親のせいで、いろんなことを我慢してきたって、ど真剣にそう思っていたんですよ!ホント恥ずかしいです。
親のせいで大学をあきらめた!?
特に行きたい大学を、親の稼ぎのせいで諦めたと思っていたんだけど、本当のホントは、違うのです。
でもそれに、本当に気づけたのは40歳近くになってのこと。
人間の記憶というのは、良いように書き換えしてしまうものなのです。
話を元に戻すと、親の稼ぎのせいで行きたかった学校を諦めたのではなく、
正しくは、自分自身が行きたかった大学に向けて、自分が真剣に勉強していなかったのです。
あのとき、自分が行きたいと思っていた大学に行きたいと親に言えば、まず間違いなく応援してくれていたと思うのです。
親の稼ぎが悪いから、などと思い込むことで、自分がやることをやって来なかったことを、見ずに済んでいたんですね。
どこまででも親を悪者にする。
そして自分は健気で頑張っている。
そうやって親は幾つになっても、悪者役を引き受けてくれているわけです。
本当に幾つになっても・・・。
こうして、親の稼ぎが悪いわけじゃなくて、そして親には溢れんばかりの愛があるのだということに気づいてから、湯川の場合、一気に仕事に対してエネルギーを出せるようになり、その結果収入も一気に増えた、ということがあったんですね。
長くなりました。続きはまた次回。
次回は夫とのやり取りから学んだ「豊かさ」について、お伝えして行こうと思います。