パートナーシップ心理学アカデミー
メルマガ月曜日担当 大城悦子です。
さて先日、車での移動中FMを聞いていたら、西野カナさんの「トリセツ」が流れてきました。
曲は楽しい曲だし、歌詞もかわいい歌詞ですよね。
でもね、これをリアルでパートナーに求めていてはちょっとマズイだろ!と思ったのです。
歌詞を知らない方はこちらをご参考に。
http://j-lyric.net/artist/a04d733/l03771b.html
というのも、この曲が流れたあとに読まれたメールがあったんです。
要約すると内容はこんな感じ。
彼にトリセツを聞かせて、これが私の気持ちだよって言ったら メンドクセー!って言われてしまった。
ヒドイ!こんな思いやりのない彼とはもうやっていけない。
そしてそれを受けて女性のDJも
「ほんと男子はわかってないですよねー。些細な気づかいが欲しいだけで、多くは求めてないのにねー」
って答えていたんですが、いやいや、多くは求めてないってこれ相当高いレベルの要求してますから!
例えば
急に不機嫌になるけど、理由は言わない。
いや私にもわからない。
だからって放っておくと余計に怒るよ。
機嫌が直るまであなたが責任もってね。
小さな変化も気づいて褒めてほしいけど、太ったとか余計なことは言うな。
プレゼントはセンスが大事。
旅行やおしゃれなディナーにも連れていって。
エスコートくらいはちゃんとして。
いつも広い心と深い愛で私の全部を受け止めて。
そして終いには
こんな私だけど笑って許してね、と締めちゃってます。
さっきも言いましたが、この曲がどうこうというんじゃないんです。
これを歌の中のお話ではなく、リアルにパートナーに求めるのが問題なのです。
この歌詞には、主人公が彼に求めることだけが綴られています。
私を愛しているならこれくらい何の問題もないでしょう?と何の疑いもなく思っているわけです。
歌詞を大城的視点で読み解くと…
歌の歌詞なのでかわいく、共感できる言葉が使われていますが、つまりは
私の思い通りに動け!
私にみなまで言わせるな!
私を否定することは許さん!
私は何も変わる気はない!
と言ってるわけです。
たいがいの男性は「うぜーーー!」と言いたくなるでしょう。
でも、レベルの差は多少あれど、私たちは素でパートナーや周りの人にこういうことを求めてしまっているのです。
なぜかというと、それがその人にとっての「愛の定義」になってしまっているからです。
愛の定義というのは
「愛する、愛されるとはこういうものだ。」とそれぞれが持っているものさしです。
私たちはそれを自分のものさしでしか測れないので、何の疑いもなく相手に押し付けてしまうのです。
押し付けているという自覚すらなく。
では、私たちそれぞれのものさしはどうやって作られるのかというと
やっぱりそれは幼い頃、親にもっていた高い要求が元になっているんですね。
その証拠に、トリセツの歌詞を3歳の女の子がパパに言っていると想定して読んでみると、違和感なく成立すると思いませんか?
でもそれを大人になった今もナチュラルにパートナーに求めてしまっては、うまくいくことはないはずです。
だって彼はパパではないし、それを言っているのは3歳のこどもではないのですから。
「トリセツ」を読むのは誰?
ここまで、トリセツにだいふツッコミを入れてきましたが、これ、違う方向に使うとすごく効果があると私は思います。
それは、自分のトリセツを自分が読むのです。
自分の要求を誰かにかなえてもらおうとするから「うぜーー」なんて言われてしまうわけです。
自分を理解するために、自分のトリセツを使うなら、何の問題もありませんね。
自分にそういう幼い愛の定義があるとわかったら、
それは大人の愛の定義に書き換えていくことによって、パートナーとの関係も必ずよくなっていきます。
そして、トリセツで自分が求めていることは全部自分が自分にやってあげればいいのです。
ご機嫌をとってほしいなら、居心地のいい環境を自分が自分に与えてあげる。
褒めてほしいなら、自分が一番の応援者になって自分のがんばりをほめてあげる。
旅行やおしゃれなディナーがしたいなら、自分の足で、自分のお金で自分を連れて行ってあげればいいのです。
これができるのは大人だからこそ。
そうしてこそ、「私のトリセツ」の本当の値打ちがあるのだと思います。
あなたのトリセツには何が書かれていますか?
今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。
大城悦子